自著を語る:『アジア太平洋戦争と収容所――重慶政権下の被収容者の証言と国際救済機関の記録から』

アジア環太平洋研究叢書 第4巻
貴志 俊彦(著)『アジア太平洋戦争と収容所――重慶政権下の被収容者の証言と国際救済機関の記録から』
国際書院、2021年
http://www.kokusai-shoin.co.jp/308.html


1. 本書のエッセンスを一言でまとめていただけないでしょうか。

本書は、アジア太平洋戦争期(1941-1945)の中国奥地に設置された収容所問題をとりあげたものです。本書では重慶政権と呼んでいますが、中華民国重慶国民政府の統治区に設置されたミクロな空間・場を問題にしています。そこに交錯する人びとは、日本、朝鮮半島、台湾をはじめ、太平洋対岸のアメリカ合衆国、ユーラシア大陸の中央アジア、欧州とつながっていました。それがゆえに、このミクロな空間・場に登場するひとびとは、東アジア域内にとどまらず、国際的であり、その背景も多様でした。

No. 47重慶政権統治区(War Prisoners Aid News, YMCA, Vol. 2, No. 6, September, 1945, n.p.)

この時期に設置・移設された収容所は、捕虜収容所、敵国人収容所、敵国籍宣教師のための集中営などに分かれていました。いずれもが、国際法(1929年のジュネーヴ条約[※1] )と、重慶政権による「捕虜優待政策」に基づいて制度化されていました。ただ、それぞれの収容所の役割や環境は明らかに違っていました。本書は、こうした中国奥地の収容所が、この国際法とローカルな政策に基づきながらも、実際にはいかに運用され、それを被収容者がどのように受け止めていたのかを読み解いたものです。詳細は本書の序論をご覧ください。

[※1]戦地軍隊に於ける傷者及病者の状態改善に関する捕虜の待遇に関する1929年7月27日のジュネーヴ条約。

イェール大学神学部図書館で調査風景


2. 本書執筆のきっかけになった出来事や着想など、お聞かせください。

執筆には次の4つの資料群との出会いがありました。
①1999年、南京にある中国第二歴史檔案館に所蔵されている戦時下のラジオ放送に関する大量の日本語放送原稿
②2013年、立命館大学国際平和ミュージアムに所蔵されている在華日本人反戦革命同盟関係資料を中核とする「鹿地亘氏関係文書」
③2017年、台北の中央研究院近代史研究所檔案館所蔵の「外交部(亜太司)檔案」
④2019年、イェール大学神学部図書館所蔵の「ニルス・オーネ・ベンツ文書」

これらの資料群を調査するなかで、ひとつひとつの史実がジグソーパズルのように組み合わさっていきました。そして、これまでの研究史上の空白であった戦時下の中国奥地における被収容者の実態を描写する条件が整っていきました。
とくに④の文書群との出会いにより、日本と中国を軸とした二国間パラダイムの日中戦争観から解放され、いまさらながらこの戦争が世界に繋がる悲劇的事件であったことを確認できました。まさに蒙が啓かれる思いでしたね。それにしても本書脱稿までは、とにかく時間がかかりました。

宝鶏第一捕虜収容所の設計図(ベンツ牧師による)

N. オーネ・ベンツ牧師


3. 執筆中、そして著作の公刊に至るまでに苦労したこと、難しかったことをお聞かせください。

苦労したことといえば、関係する資料と先行研究の少なさにつきます。先の「本書執筆のきっかけ」であげた①から④の文書群と出会うために、20年ほどの年月がかかりました。その間、さまざまなプロジェクトを進めていたため、このテーマに集中していたわけではなく、書籍にまとめることをあきらめかけた時期もありました。ただ、眠りかけていた研究意欲を覚醒させ、国内外で発表の場を与えてくれた日本、中国、米国、イギリスの研究者仲間には、心より感謝しています。
読み解きで苦しんだのは、イェール大学神学部図書館所蔵の「ニルス・オーネ・ベンツ文書」でした。スウェーデン人牧師であったベンツさんは本書の重要人物のひとりです。彼が、YMCA国際戦俘福利会(以下WPA)のニューヨーク本部に提出していた報告書は英語で書かれてはいましたが、独特な文体ということもあり、コロナ禍で在宅ワークが続かなければ読み切れなかったかもしれません。


4. 今回の著作を執筆するにあたり、様々な事実や分析をまとめて、どうやって一つの作品に仕上げるか、そのコツやヒントを若手研究者に向けて教えてください。

世界各地に散在している資料から、埋もれている重要資料を探し出すことに研究の半分以上の労力をかけているといってもおおげさではありません。とにかく各国の図書館の資料状況を精査することが肝心ですし、また楽しい。私たちの分野では、これを「鉱脈堀り」と言います。そうして、とにかく時間と能力と予算の限り、有益かもしれない資料やデータを収集することです。そして、読みに読んで、PCにデータを打ち込んでいくしかありません。そうした密な作業があってこそ、「天使が舞い降りて来る」のですよ。書くことを習慣づけないと書けなくなってしまいます。これは経験則です。
そして、資料上で発見した事実を確かめるために、現場に赴いて、関係者を見つけてはヒアリングを進めるのですが、今回はさまざまな理由から中国の奥地へ行けませんでした。WPAの本部やUCR(米国援華聯合会)があったニューヨークだけでした。そういえば、同僚の石川登さんとごいっしょしたニューヨークの公共図書館や市内見学は、じつに楽しかったですね。いい思い出です。旅先での友人との会話を通して、研究を進めるヒントが、けっこう浮かんでくるものなのですよ。構想を組み立てるうえで、研究仲間や家族とのたわいのない話は、じつは宝石の原石みたいなものです。このプロセスは、とても大事だと思います。

2017年6月10日、浙江大学で開催された国際シンポ終了後、ヴェネツィア大学の先生方らと


5. 執筆中に新しく発見した今後掘り下げるべき研究課題、そして次回作への構想も教えてください。

本書の最大の課題は、計画していたジュネーヴの赤十字社のアーカイブにアクセスできず、当時の赤十字社の動向を掘り下げられなかったことです。コロナ禍で海外出張ができなかったためです。国際赤十字社(以下ICRC)から中国奥地の重慶に派遣されたのは、本書のもう一人の重要人物であるスイス人のエルネスト・センでしたが、センと同時期に、ICRCから中国や日本、東南アジア諸地域に派遣された人は少なくありませんでした。彼らの動態を調査して、第二次世界大戦のアジアにおける赤十字社の動向を網羅する必要があると思っています。
また、1946年以降、WPAが担っていた救済事業は、UNRRA(連合国救済復興機関)の中国側パートナー機関として設置されていた中華民国政府行政院のCNRRA(善後救済総署)が正式に引き継ぐことになりますが、あらためてCNRRAが1949年の中国革命までおこなっていた活動を調べる必要を感じています。通説の再検証ですね。
ただ、これらの研究にいつ着手できるかはわかりません。今年(2021年)は、まずスタンフォード大学フーヴァー研究所のカオル・ウエダさんがキュレーターとして企画している展覧会「Fanning the Flames: Propaganda in Modern Japan」に協力することが一番の課題です。私の担当は日清、日露両戦役のときのビジュアル・メディアの分析です。また、一昨年、コペンハーゲンで収集したグレート・ノーザン・テレグラフ・カンパニーの電報を読み解く必要もあります。英語やデンマーク語で書かれた電報の解読は本当に骨が折れます。まだまだ勉強不足です。


6. 出張に絶対忘れてはいけない「お気に入り」のツール、ギア、道具を教えてください。また、執筆時の「おやつ」や「お供」も教えてください。

日ごろの研究の「お供」は、家族の写真と、あの世から私を励ましてくれる恩師の遺品である文鎮です。これらはいつも目の届くところにあります。また、夜型ですので、机の上には、「おやつ」の代わりに、糀水(こうじすい)か、グラスに入った赤ワインはいつもあります。もう強いお酒は飲めなくなりましたね。健康に留意すべき年齢になりました。