自著を語る:『ポピュラー音楽と現代政治―インドネシア 自立と依存の文化実践』

地域研究叢書 46
金 悠進(著)『ポピュラー音楽と現代政治――インドネシア 自立と依存の文化実践』
京都大学学術出版会、2023年
https://www.kyoto-up.or.jp/books/9784814004645.html


1. 本書のエッセンスを一言でまとめていただけないでしょうか。

本書では、1950年代から2010年代までの政治の動きと絡めながら、インドネシア・ポピュラー音楽史を論じました。その主張を端的に言えば、民主化によって自由を得たインディペンデントなミュージシャンが、必ずしも民主主義の質的向上に貢献するとは限らない、むしろ非民主的な構造の温存に加担してしまいかねない、ということです。

インドネシアは第二次世界大戦後に独立したものの、スカルノ指導民主主義期、スハルト権威主義体制期と約40年に渡り独裁的な体制が続きました。しかし、1998年にスハルト政権が崩壊して民主化の流れが生じます。権威主義時代に抑圧されていたミュージシャンたちは、民主化によって自由を手にし、自主独立的な表現活動を行いました。一方で、彼らはクリエイティブ産業の象徴となったり、生活のために軍事基地でライブをしたり、さらには著作権保護のために政府からの支援を積極的に求めるようになります。こうした音楽と政治の相互依存関係が、近年の「民主主義の後退」といかに密接な関係にあるのかを論じています。


2. 本書執筆のきっかけになった出来事や着想など、お聞かせください。

ガルットが生んだ女子高生ヒジャブメタルバンドVoice Of Baceprot

フィールドワーク中の違和感でしょうか。もともと私はパンクロックが好きだったのもあり、当初はインドネシアのパンクに興味が湧きました。調べると1990年代後半の民主化運動や学生運動とパンクとの関わりがみえてきて、パンクと政治がテーマになりそうでした。しかし、よく考えてみると、そもそもミュージシャンの多くが政治的なのか?なぜパンクだけにこだわるのか?と考えるようになりました。自分がやっていることが「つまらない」と思い始めました。パンクが体制を批判して政治を変えるという物語(という理想化された一面的な見方)に違和感を持つようになりました。そこで、自分が好きではない音楽や、自分の調査地以外の地域、過去の伝説的ミュージシャンたちにも分析対象を広げるなかで、本書の輪郭がみえてきました。単一ジャンルや単一地域に絞らないことで、本書で描いている、ジャンル、地域、世代を越境するインドネシア音楽シーンの特徴が浮き彫りになってきました。特定の音楽ジャンルやミュージシャンが政治的かどうかは二次的な問題意識にすぎなかったのです。ある意味では、当初の私自身のものの見方や考え方こそが相対化すべき対象となりました。


3. 執筆中、そして著作の公刊に至るまでに苦労したこと、難しかったことをお聞かせください。

スマランが生んだ伝説的カシーダ・グループNasida Ria

査読に応えることです(笑)。半分冗談ですが、査読をみるのが辛すぎて、一時期現実逃避していました。それはさておき、一番苦労したのは、終章です。私が執筆時に最も苦手とするのは、タイトルと結論です。タイトルは他人任せでもいいと思っています。編集者や査読者が提案してくれたりします。本書のタイトルも書店サイドの意見を採用しました。しかし、結論や終章はそうはいかない。終章を書くのが億劫なのは、それまで序章から第5章までなんとか書いてきて、「もうこれで読者の方お分かりいただけましたね、さよなら」と去りたいのに、そうはさせてくれない。序章と終章しか読まない読者もいる。初稿の段階ではこの終章はたった見開き1ページ分ぐらいしかありませんでした。でも、それ以上書くことがないとも思っていましたし、書くのが嫌でした(最終的に20ページぐらいにはなった)。そこで、他の学術本を読んだり、編集者と相談したりしているうちに考えが変わりました。あくまで私の考えとしては、終章は、最後にちょっとだけ「背伸び」をするイメージです。序章で背伸びをしすぎたら、あとで恥ずかしい目に遭いますが、最後だけちょこっと背伸びをしてみるのは意外と許容される。つまり、これまで議論してきたことを単に要約してまとめるのではなく、そのなかから何かもっと大層なことが言えないかを探ります。その際に、少し広めのオーディエンスを意識してみる。そうすると、意外と書けることがありました。


4. 今回の著作を執筆するにあたり、様々な事実や分析をまとめて、どうやって一つの作品に仕上げるか、そのコツやヒントを若手研究者に向けて教えてください。

バンドンの陸軍基地で開催されたフェスでライブをする人気メタルバンドBurgerkill

参考にならないかもしれませんが「これまでの自分を批判する」ことでしょうか。過去のアプローチや考え方を批判的に捉えつつ新たな視点を加えることです。この本の土台となった博士論文は、かなり書き下ろしに近い内容でした。一般的に博論は複数の既発表論文を寄せ集めたものが多いです。私は博論を書く際に、これまで書いた論文をあまり使いませんでした。既発表論文の繋ぎ合わせは一見効率的ですが、章と章のつながりが明確ではないし、なにより本の場合、本全体を貫くストーリーが一番大事だと思います。そこで私は、この博論本はこれまでの集大成ではない、これはこれで単独の長〜い投稿論文なんだという意識を持ちました。本ではこれまでの自分の論文とは異なる新しい問題設定と枠組みを提示しました。これは、過去の自分を批判することにもなります。そうやって自分を乗り越えるべき対象として捉えます。博論本はファーストアルバムであって、ベストアルバムではない。繰り返しますが、参考になるかはわかりません。


5. 執筆中に新しく発見した今後掘り下げるべき研究課題、そして次回作への構想も教えてください。

国内最大のインディーズ・レーベルDemajorsのショップ

とくにありません。あえて言うなら、この本を批判的に乗り越えるような第二作を書きたいと思っています。セカンドアルバムですね。今はそのためのアイデア探し中といったところです。アイデアを見つけるためには、インドネシアの音楽をもっと知る必要があると思います。まだまだ知識が足りない。インドネシア音楽は底なしなので、掘れば掘るほど面白いものが出てきます。永遠に研究課題が尽きることはありません。無限に広がる研究テーマに出会えたことが、何よりの幸運です。


6. 出張に絶対忘れてはいけない「お気に入り」のツール、ギア、道具を教えてください。また、執筆時の「おやつ」や「お供」も教えてください。

執筆時にはカフェインありのコーヒー、カフェインなしのコーヒー、おやつが必須です。午前中はカフェインありのコーヒーを飲んで目を覚まします。午後3時以降はカフェインなしのコーヒーを飲みながらおやつ(だいたい菓子パン)を食べます。3時以降にカフェインを摂ると夜に寝られません。空腹に耐えられない性分なので、必ずパンやお菓子は出張でも研究室でも常備しています。とくに新幹線や飛行機に乗る前は緊急停車や遅延を想定して必要以上に食べ物を買い込んでおきます。少しでも小腹が空いたら食べます。ちなみに、科学的には空腹時のほうが執筆の集中力が増すらしいのですが・・・(笑)。