自著を語る:『焼畑を活かす 土地利用の地理学―ラオス山村の70年』

地域研究叢書 46
中辻 享(著)『焼畑を活かす 土地利用の地理学―ラオス山村の70年』
京都大学学術出版会、2025年
https://kyoto-up.or.jp/books/9784814005734.html


1. 本書のエッセンスを一言でまとめていただけないでしょうか。

写真1
ラオスの焼畑は今も健在—主食であるモチ米のほか、さまざまな作物を混作している(2023年10月 本書の対象村の一つであるフアイペーン村)

一言で言うのは難しいのですが、あえて言うなら、「焼畑民の土地利用の構造を歩きながら徹底的に追求した本」ということができると思います。ここでいう構造は普遍的な形と言ってもよいです。私は山登りが好きで、山で暮らす人々の自然との関わり方を知りたいと思って、ラオスをフィールドに選びました。実際にカム族やモン族の人々の村を訪ね、一緒に山登りをすると、それが本当に楽しい。山の自然やそこでの焼畑などの生計活動について毎日が発見の連続でした(写真1)。14か村を対象とした調査でのこうした発見を、主に土地利用に焦点を当てて描き出した本です。

ただし、本書は学術書なので、単なる見聞録であってはいけません。学術的なオリジナリティーが必要ですし、実証性が求められます。本書のオリジナリティーを三つ挙げます。

第一に、貧富の差が拡大する要因を明らかにしたことです。GPS測量により焼畑と水田、換金作物栽培地の分布や面積を測定して、その世帯ごとの違いを明確にしました。そして、それが生計ひいては貧富の差に深く関わることを実証しました。

写真2
出作り集落—焼畑および家畜飼養の拠点となっている(2005年2月 本書の対象地域の一つであるブーシップ村)

第二に、焼畑民による家畜飼養の実態を明らかにしたことです。スイギュウ、ウシ、ヤギ、ブタ、ニワトリなどの飼養は焼畑民が古くから従事してきた生計活動で、焼畑とも深い関わりがありますが、実態はほとんど知られていませんでした。家畜は重要な現金収入源でもあり、農村開発を考える際の必須要素です。本書では土地利用の面からその実態に迫りました。特に、家畜飼養の拠点となっている出作り集落(写真2)については、かなりこだわって調査をしました。

第三に、1945年以降の航空写真と米軍偵察衛星写真を使って、70年間の土地利用・土地被覆の変遷を明らかにしたことです。第2次インドシナ戦争(ベトナム戦争)期に森林が減少した、ラオス国内の集落の半分が移動したなどとよく言われていましたが、実証的な研究はありませんでした。戦争前後の航空写真を丁寧に分析することで、焼畑・森林の分布の変化や集落の移動を明らかにすることができました。また、焼畑は本当に環境破壊的なのかを長期的な観点から検証しました。


2. 本書執筆のきっかけになった出来事や着想など、お聞かせください。

本書は私が初めてラオスに行った2001年から現在までの研究の蓄積の結果ですので、きっかけや着想はいくつもあります。私はもともと、自然環境と人間との関わり方をフィールドワークから明らかにする文化生態学とか政治生態学に深く関心を抱いており、特に山地に興味があったので、ラオスは格好のフィールドでした。ラオスでのフィールド調査の始めは、「人々が周囲の環境をどのように利用して生計を立てているのか」ということに関心があったので、毎日のように山を登っては、人々の様々な環境利用や土地利用について調べていました。

写真3
収穫期の焼畑と畑小屋(2005年10月 フアイペーン村)

集落近辺の換金作物の畑はモノカルチャーであまり面白くなく、楽しかったのは高いところにある焼畑稲作地です。焼畑にはコメのほか、雑穀、イモ、豆類、蔬菜類など、いろんなものが栽培されています。そこに設けられた小屋(写真3)でこれらの食材を調理して、スープなどを食べさせてもらえることもありました。ラオスの主食はモチ米ですが、蒸したモチ米にこれがよく合います。高地ですので、相応に涼しく、稲穂が波打つ静かな場所ですので、焼畑の小屋は昼寝に最適です。また、談笑するにもいい場所で、風景が良いせいか、ここでは話が弾みます。

写真4
精霊に祈りを捧げる—焼畑の小屋付近に設けられた祠で、収穫が無事に済むよう、周囲の森に住む精霊にニワトリと酒を奉納し、祈る(2005年10月 フアイペーン村)

小屋の近くには精霊を祀る祠が作られています(写真4)。これは豊作を精霊に祈願するために作られたもので、彼らのアニミズム信仰が関わっています(祠が換金作物の畑に建てられるのを見たことはありません)。このように、焼畑というのは楽しい場所であり、またそこで収穫されたコメなどの収穫物もたいへん美味です。ラオス北部の人は「焼畑でとれたコメの方が水田のコメよりも美味しい」とよく言います。

ところが、現在は焼畑を抑制しようとする国家政策の影響で、ラオスの山村でも焼畑がしにくくなっています。そのため、それを維持する農民の側にも相当の苦労があるのですが、焼畑が本来、こうした楽しい農業であるという点は強調しておきたいです。

写真5
出作り集落で昼寝する子豚(2010年3月 フアイペーン村)

もう一つ、山を歩く中で、私が強く惹かれたのは家畜です。スイギュウ、ウシ、ヤギ、ブタ、ニワトリなどの家畜がとてもいきいきしているのです。放し飼いされているからです(写真5、写真6)。日本で暮らしていて、家畜を目にすることはほとんどありません。一方、ラオスでは山や森の中を家畜が歩いている。これは衝撃を受けました。単純すぎる動機ですが、調べてみたくなりました。

写真6
林間放牧されるウシ(2005年10月 フアイペーン村)

ところが、ラオスでの家畜飼養にも問題が起こっていました。家畜の病気です。彼らが集落で家畜を飼わない理由は集落だと伝染病で家畜が死んでしまうためです。だからこそ、焼畑をするような高い場所に出作り集落を建てて家畜を飼養しているのです。そうした現在のラオス山村の抱える問題にも焦点を当てて家畜飼養について調査しました。

一方、航空写真を使って長期間の変化を明らかにすることに取り組んだきっかけは、2012年にアメリカ国立公文書記録管理局(NARA)にて、ラオスの航空写真を大量に発見したことにあります。私がラオスに行き始めた時から、ラオス国立地図局では、1960年代にアメリカが作成した5万分の1地形図が売られていました。この地図が航空写真をもとに作成されたらしいということはわかっていましたが、その写真がどこにあるのか、地図局の人にたずねてもわかりませんでした。

写真7
1959年の航空写真に写る集落(中央)と焼畑(白い部分)(NARAで入手した1959年2月7日撮影航空写真[Can#ON098259, EX-23829]の一部を拡大したもの)

そこで、思い切って、アメリカ合衆国のメリーランド州にあるNARAを訪ねたところ、対象地域の1959年および1945年の航空写真が見つかりました。しかも、解像度が高く鮮明な画像で、当時の土地利用や森林の様子が手に取るようにわかります(写真7)。これはどうしても活用しなければならないと思いました。これに加えて、アメリカ地質調査所(USGS)で入手した1960年代〜70年代の米軍偵察衛星写真、ラオス国立地図局で入手した1980年代以降の航空写真を活用することで本書第3部の研究が可能となりました。

土地利用・土地被覆の変化を調べる際には衛星画像がよく使われますが、衛星画像が初めて撮影されたのは1972年です。しかも、2000年ごろまでその解像度は数十メートルと低いものでした。ですから、航空写真や米軍偵察衛星写真は20世紀の土地利用・土地被覆を面的に高解像度で明らかにすることができる唯一の画像資料であるといえます。東南アジアの山村という、昔のことを明らかにする資料がなかなかない場所に関して、多時点の航空写真を用いて、20世紀後半の変遷を明らかにすることを試みたという点に本書の一つの独自性があると思います。


3. 執筆中、そして著作の公刊に至るまでに苦労したこと、難しかったことをお聞かせください。

一番苦労したのは航空写真の画像解析の過程です。多くの写真を見つけたのは良かったけれども、それを利用するのが難しかった。それもそのはずで、だからこそ、航空写真は今日まで研究に利用されることが少なかったのです。特に、私はパソコンもGISも苦手でしたので、時間がかかりました。だからといって、誰かが助けてくれるわけでもなかったので、全て自分でするほかありませんでした。

航空写真を利用するためには、まずオルソ幾何補正というハードルがあります。航空写真はカメラで撮影した写真ですので、レンズを中心とする投影画像になります。そのため、中心から離れるほど、地物に高低差があるほど、歪みが大きくなります。写真からこうした歪みを取り除いた上で、座標系に位置付ける作業がオルソ幾何補正です。これが結構時間のかかる作業で、1日1〜2枚しかできません。

さらに、土地利用・土地被覆の分類作業もたいへんです。オルソ幾何補正された写真をGIS上で拡大表示して、焼畑・水田・集落などの土地利用、草原・叢林・森林などの植生の境界線をマウスで引いてデジタイジングするわけですが、時間がかかります。私の場合、正確性を期そうとして、同じ場所を撮影した前後左右の航空写真も参照したり、立体視鏡を使って3Dで確認をしたりしていましたから、かなり時間がかかってしまいました。

何十年も前の過去の話を古老から聞き取る作業は楽しいですが、困難な部分もありました。聞き取り調査は全てラオスの公用語であるラオ語で行いました。私もラオスでの調査は長いですから、目の前で起こっていることに関して、ラオ語で質問し、答えを聞き取ることは困難に感じません。ところが、何十年も前の話になると、コンテキストがわかりませんから、話が難しくなります。また、人の記憶も曖昧なので、話の内容が錯綜することもよくあります。私はもともとボイスレコーダーを使わない主義だったのですが、過去のことを集中して聞くことになった時、聞き取り内容を全て録音することにしました。そして、複数の古老に聞き取った内容を、ラオ語か日本語訳で文字起こしをして、内容を精査しました。こんなことをしていたので、通常の聞き取り内容をまとめるよりもずっと時間がかかりました。

そんなわけで、本書第3部の研究には、時間もかかっています。今後は、以上の作業をいかに効率的に行うかという点も考えないといけないですね。


4. 今回の著作を執筆するにあたり、様々な事実や分析をまとめて、どうやって一つの作品に仕上げるか、そのコツやヒントを若手研究者に向けて教えてください。

本書の場合、ほとんどが一つの対象地域での研究ですから、村の生計と土地利用の全体像をとらえようが(第1部)、家畜飼養に焦点を当てようが(第2部)、70年間の変遷に目を向けようが(第3部)、互いに何らかの関連性があるはずです。

さまざまな事実や分析をまとめて一つの作品に仕上げるときに参考になる一つの方法として、KJ法が挙げられます。これは一見バラバラのデータをまとめ上げて、一つの全体像を作り上げる方法です。会議でのさまざまな意見を集約する際によく使われているようですが、もともとは地理学や文化人類学の分野で編み出された方法です。KJというのは、この方法の創始者である川喜田二郎先生のイニシャルです。川喜田先生はもともと地理学者で、ネパールで調査をしたときに収集した多種多様な、しかし互いに関連がありそうなデータをいかにまとめて調査報告書を書くか悩んだときに、この方法を編み出したそうです。詳しくは、先生のご著作などを読んでみてください。今は、パソコンでKJ法が実践できるソフトウェアがいくつか出ています。私も本書の執筆にあたり、こうしたソフトウェアを使って、まず、書く内容を整理してから書くようにしていました。


5. 執筆中に新しく発見した今後掘り下げるべき研究課題、そして次回作への構想も教えてください。

まず、航空写真をもっと活用して、東南アジアの農村や都市が20世紀にどのように変貌したのかを明らかにしたいです。本書では、一村落レベルの土地利用・土地被覆の変遷を明らかにしただけです。しかし、航空写真自体は1940年代のものでも、1950年代のものでも広域をカバーしています。ですので、私はこうした写真から広域の土地利用・土地被覆を復元する研究を進めています。すでに、オルソ幾何補正に関しては、Structure from Motion(SfM)という技術により、多数の航空写真をわりと簡単に補正できることがわかりました。実際に、私も1945年と1959年の航空写真を使って、2000〜3000平方キロメートルの範囲のオルソモザイク画像(オルソ幾何補正をした航空写真をつなぎ合わせて作った画像)の作成を終えています。これにより、GIS上で過去の画像と現在の衛星画像を重ね合わせて、広域で変化を追うことができるようになりました。東南アジアには、日本の旧版地形図のような、過去の状況を詳細に示してくれる地図があまりないので、こうした画像はそれに代わるものとして貴重です。

そして、やはり、ラオスの焼畑の今後を見守り続けたいです。ラオスは東南アジアでも焼畑がよく残っている国ですが、それでも近年は急速に減少しています。焼畑は、畑を作るために森林を伐採して燃やすことから、環境破壊のイメージが強いですが、実は環境を巧みに利用した持続的な農業であることが、いろんな研究で明らかにされています。そして何よりも、焼畑は焼畑民の文化が詰まった楽しい場所でもあります。日本でも1950年代までは山地で盛んに焼畑がされていましたが、今はほとんどされていません。ところが、近年はその良さが見直され、各地で復活を目指す動きが起こっています。おそらく、東南アジアでもそのうち焼畑が再評価される時期が来るでしょう。その前に、焼畑が消滅してしまわないように、その継続を可能にする道を現地の人々と一緒に考えたいと思います。

写真8
焼畑の火入れ—火は激しく燃えるが、周りの森林に火が移らないように工夫されている(2009年3月 フアイペーン村)

その一つの道として、焼畑を観光資源に使う方法があると思います。上述のように、焼畑は居心地の良い場所ですから、気にいる人が一定数いるはずです。焼畑の伐採・火入れも一見の価値ありです。伐採の際に、木が倒れる音は衝撃的ですし、火入れの際の火の燃え方はキャンプファイヤーの何倍も激しく、日本ではまず体験できないものです(写真8)。今後は焼畑を体験型のエコツアーの目玉にして売り出していくと、ラオスの山村も潤うのではないでしょうか。


6. 出張に絶対忘れてはいけない「お気に入り」のツール、ギア、道具を教えてください。また、執筆時の「おやつ」や「お供」も教えてください。

写真9
調査風景—左はカム族の方、右は私(2024年1月 フアイペーン村)

ラオスでの現地調査で欠かせないのは野帳、カメラ、時計、GPSです。おそらく、フィールド調査をする人なら、みんなこれらのものは持っていくのではないでしょうか。GPSはどこで何に出会ったか記録するために必携です。また、ラオスなど熱帯は日差しがきついので、熱中症予防のためには、帽子も必携です(写真9)。

執筆に際して、何らかのこだわりがあるわけではありません。大学に就職してから、同僚だった先生の影響で、Macのパソコンをよく使うようになりました。キーボードやマウスはわりと良いものを使っています。長時間仕事をするには、その方が快適です。ただ、いいものを使ったから研究の生産性が上がるというわけでもないようです。