OSAWA Takamasa (大澤隆将)
At the Edge of Mangrove Forest: The Suku Asli and the Quest for Indigeneity, Ethnicity, and Development
Kyoto University Press, 2022
https://www.kyoto-up.or.jp/books/9784814004348.html
1. 本書のエッセンスを一言でまとめていただけないでしょうか。

マングローブ林に覆われた汽水河川を行くカヌー。スク・アスリやアキットは迷路のように枝分かれした汽水河川の沿岸をカヌーで移動しながら、マングローブ林と後背地の境界に集落を作ってきた(2012年、ベンカリス島)
「『先住民であること』と『先住民になること』」でしょうか。「である」ことと「になる」ことが相互に響きあいながら個人や集団が「あるべき姿」を実現していくプロセスは、エスニシティ、ジェンダー、階層、ナショナリティなどいろいろな次元でみられる現象ですが、本書ではインドネシア、スマトラ島東部沿岸域にくらす多数派でない人びとの共同体における「先住民であること」と「先住民になること」の関係性について、人類学的なフィールドワークにもとづいて民族誌的な研究をおこないました。

アキットの結婚式で披露される伝統的な拳法(シラット)の演武。アキットとスク・アスリの文化は言語以外もムラユのそれにとても近い(2007年、ルパット島)

自然界に宿る霊を祭る社(プラナカン由来の表現で「ダトック・コン」、スク・アスリ由来の表現で「クラマット」とよばれる)のなかにある供物台。華人文化の線香立てや赤い鶏卵の供物と、スク・アスリ文化の樹脂香を焼く器とターメリック・ライスの供物が並べて供えられている(2012年、ベンカリス島)
この「多数派でない人びと」とは、この地域で「アキット」、「ウタン」、「ラワ」とよばれる、汽水河川に沿ってひろがるマングローブ林とその後背地の境目でくらしてきた人びとです。彼らは、この地域の歴史的な多数派であるムラユ(マレー)の人びとと同じ言語をはなします。しかし、周囲のムラユより古くからこの地域にくらしてきたことと、イスラームを信仰しないことから、ムラユとは区別されます。とはいっても彼らの民族集団としての自己認識はあいまいで、歴史的に華人との結婚をくりかえしてきました。この書籍ではその中でもかつて「ウタン」とよばれ現在では「スク・アスリ」[1]―直訳すると「先住民」―を名乗る人びとに焦点をあてています。彼らが先祖代々この地域に居住しながら醸成してきた生活環境や土地空間との無意識のつながりと、インドネシア政府が認める先住民的なポジション[2]を明確に区別し、彼らがこれらのあいだで揺れ動きながら個人と集団のあり方を変化させていくプロセスを追っています。書籍内では、 “indigeny” (=生活環境や土地空間との無意識のつながり)と “indigeneity” (=政府が認める先住民的なポジション)という2つの分析概念を設定し、「先住民であること」と「先住民となること」の関係性を考察しています。
[1]ベンカリス島にくらす人びと。2006年まで、この人びとは県政府から「ウタン」とよばれていたが「ウタン」(森)という語が密林にくらすイメージや動物のオランウータンのイメージを喚起することから、彼らは県政府と交渉をおこない、「ウタン」に代わり「スク・アスリ」の名称を認めさせた。しばしば近隣地域にくらすルパット島のアキットやスマトラ本島のラワ川河口部にくらすラワと同一視され、昔から実際に彼らのあいだでは移住や通婚がおこなわれてきた。
[2]インドネシアは国際的な文脈で議論されてきた「先住民」(indigenous peoples)の概念を積極的に支持していないが、国内において類似する概念である「慣習法共同体」(customary law community: masyarakat hukum adat)の存在と権利を認めている。
2. 本書執筆のきっかけになった出来事や着想など、お聞かせください。
私が本書の調査地域であるインドネシアのリアウ州ベンカリス県にはじめて訪れたのは修士課程在籍時でして、その時は「ルパット島のアキット族について、世界ではじめて人類学的調査をおこなう」といった無邪気な野心を胸に抱いていました。そして直後に大混乱に陥ります(笑)。
まず、ベンカリス島の県庁所在地で調査開始の手続きをしていると、役人が「ウタン」という異なる民族名称を繰り返し使ったり、「アキットは華人だ」[3]と言ったりする。ルパット島のムラユの村に訪れても、彼らは「アキット」という言葉をほとんど使わず、「オラン・アスリ」[4]という言葉でその人たちをよんでいました。そして目的の村に入ると、アキットを名乗る人びとはたしかにそこでくらしていたのですが、より多くの場合、彼ら自身も自分たちを「オラン・アスリ」とよびます。さらにはアキットの集落の中に(ただの)「アキット」と「プラナカン・アキット」[5]を名乗る人びとが一緒にくらしていて、外部から来た私には区別がつかない。自分が誰を調査しに来たのか、全く訳が分からなくなってしまいました。

スク・アスリの伝統的な治療儀礼をおこなう老人。プラナカン出自である彼は、華人文化の憑霊技術をもちいた治療儀礼をおこなう場合もあった(2012年、ベンカリス島)
「結局のところアキットとは誰なのか?」そんな問いを抱きいろいろと調査をしてみたのですが、修士課程でこの問いに答えきれませんでした。博士課程にはいってから、ベンカリス島にくらす「スク・アスリ」の人びとの村落で再び人類学的なフィ-ルドワークをおこない、アキットを含めて先住性と民族カテゴリとアイデンティティの複雑な絡まりあいに挑みました。その博士論文をアップグレードさせて出版できたのが本書です。
[3]両者のあいだに婚姻関係があることは事実であるが、中国の言葉がしゃべれるか否か、商売を生業とするか否かで、(後述するプラナカンを含む)アキットやスク・アスリの人びとは自分たちと近隣の集落にくらす華人をはっきり区別している。
[4]マレーシアで「先住民」をあらわす言葉。おそらく1950年代以降にマレーシアからとりいれられた言葉であるが、スマトラ島東部沿岸部でも(自称を含め)ひろく先住民を指す言葉としてもちいられる。
[5]インドネシア語・マレー語で、「プラナカン」は混血、特に華人と現地人のあいだに生まれた人びとをさす言葉である。アキットやスク・アスリの共同体では、父系をとおして継承される華人姓を継承した人びとは「プラナカン・アキット」や「プラナカン・スク・アスリ」とよばれる。彼らはアキットやスク・アスリと日々のくらしをともにし、しばしば自分たちをアキットやスク・アスリと同一視する。しかし彼らは、結婚式や葬儀といった祖先崇拝が絡む場で、純粋なアキットやスク・アスリとは異なる華人式の儀礼をとりおこなう。
3. 執筆中、そして著作の公刊に至るまでに苦労したこと、難しかったことをお聞かせください。
第五章を書くのに、とても苦労したのを覚えています。この章は「アダット」―直訳すれば「伝統」や「慣習」ですが、インドネシアでは住民の慣習的なルールや土地空間利用の権利を正当化するうえで鍵となる概念―について扱ったもので、インドネシアで先住民に関連したポジションに言及するなら絶対論じるべきトピックです。問題は、スク・アスリの人びとが「アダット」という言葉をほぼ使わないことでした。彼らの先住民としての立場を考察したい私にとっては重要ですが、実際に生活している彼らにとってはどうでもいい概念をどう論じるか。私が彼らの行為を「伝統・慣習に関係するもの」と「新しく入ってきたもの」に振り分けるような考察をするのは絶対避けたい。このジレンマの中で、むしろ「なぜ『アダット』という言葉を使わないのか」という問いから出発し、彼らがごくたまに使う「アダット」という言葉が使われる文脈を詳細に分析するという形でまとめました。かなり悩み考えた章なので、書き上げた今は、むしろ気に入った章になっています。
もう一つはやはり英語です。博士論文の際にも、この書籍を出版する際にもプロに依頼し、お金と時間をかけて繰り返し修正しました。しかし、口頭試問や書籍化のための査読、その後の編集が入るそれぞれの段階で、「もう少し英語を…」と言われる。泣きたくなりました(笑)。とはいえその指摘はもっともで、今でも読み直すと、もう少し明快な書き方ができたんじゃあないか、気の利いた表現ができたんじゃあないか、と考えてしまいます。ただ、もうこれは一生付きあうしかないと割り切っていて、次に英語の本を執筆するためのモチベーションにしていきたいと思っています。
4. 今回の著作を執筆するにあたり、様々な事実や分析をまとめて、どうやって一つの作品に仕上げるか、そのコツやヒントを若手研究者に向けて教えてください。
自身のおこなった事実描写や分析考察に対し、“So what?” と繰り返し問い続けることだと思います。私はこの問いをイギリスでの博士課程在籍時にスーパーバイザーから繰り返し投げかけられ続けたのですが、これに答えるには事実を抽象化したり分析考察を意義付けしたりせねばなりません。そうした抽象的な議論やその意義を、きったりつなげたりよりあわせていって、少しづつ一つの作品の体裁が現れてくるんだと思います。とはいえ、口で言うのは簡単ですが、実際にまとめ上げるには試行錯誤するしかありませんよね。

博士論文の口頭試問後の打ち上げ。パブではしゃぐ著者とスーパーバイザー(2015年、エジンバラ)
もう一つ、これは精神論ですが、「書き物を楽しむ」という態度がとても大切だと思っています。これもやはり同じスーパーバイザーから学んだことですが、彼はギリシア生まれの陽気な男で私と顔をあわせる度に「ライティングを楽しんでいるか?」と笑顔で質問してきました。最初は、曖昧に答えながら「しんどいにきまってる」と内心毒づいていたのですが、会うたびに開口一番必ず聞いてくるのでなかばやけくそに、「ああ、めちゃくちゃ楽しいね」と答えたら、彼は満面の笑みでうなずきました。その顔を見た瞬間、なぜかは分かりませんが、気持ちが楽になったんですよね。それ以来、「書き物は楽しい」と自分に思い込ませることにしています。書籍で出す際にも一度ならず行き詰り投げ出したくなりましたが、そうした際には「楽しいね」と口にしながら、少しずつ書き進めていきました。私自身、1冊出しただけで偉そうなことは言えませんが、この気持ちは忘れないでおこうと思っています。
5. 執筆中に新しく発見した今後掘り下げるべき研究課題、そして次回作への構想も教えてください。
本書の執筆の前後から、同じスマトラ島東部の泥炭地の保全に関わる研究に携わっているのですが、「であること」と「なること」の関係性について、土地空間や環境に軸を置いて研究をおこなってみたいと思っています。土地空間や環境も人間や社会と同じく、ただそこにあるものではなく、過去から引き継いだ現在の状況とまだ見ぬ未来の状況とのあいだで、時に着実に時に不安定に揺らぎ移ろっていくものであるように思えます。こうしたプロセスについて、泥炭地問題というグローバルな環境課題への対応も含めて、描写と考察をおこないたいです。さらにいえば、「であること」と「なること」をめぐる存在のダイナミズムについて、インドネシア以外の地域のアイデンティティや土地空間・環境のあり方の事例研究と結び付けながら、哲学的な―存在論的な―議論や考察も含めて研究できたらいいな、と思っています。ただ、実際に執筆を始めるには、もう少し時間がかかるかな。

インドネシアの友人に買ってもらったサルンとKEENのスポーツサンダル
6. 出張に絶対忘れてはいけない「お気に入り」のツール、ギア、道具を教えてください。また、執筆時の「おやつ」や「お供」も教えてください。
インドネシアやマレーシアの腰巻、サルンはインドネシアに出張する際に必ず持っていきます。ホテル泊りで「ブランケットは暑い、でもエアコンの冷風が寒い」と感じるようなときに重宝しますし、村泊りの時には蚊よけと朝の冷え込み除けにとても役に立ってくれます。
執筆時にはあまりおやつなど口にはしません。空腹のときのほうがよく集中できる(と思っている)ためです。しかし「お供」をあえて挙げるなら、スポーツサンダルでしょうか? 私は考えるときや物を書くときに、とにかく立ったり座ったりぶらぶら歩きたいです。ただ、靴だと足が蒸れやすい。なので、いいスポーツサンダルが必ず欲しいのです。今愛用しているのはKEENのスポーツサンダルですが、スニーカーのような履き心地が気に入っています。