地域研究叢書37
富永 泰代(著)『小さな学校――カルティニによるオランダ語書簡集研究』
京都大学学術出版会、2019年
https://edit.cseas.kyoto-u.ac.jp/ja/chiikikenkyusosho/37_tominaga/
カルティニRaden Adjeng Kartini (1879-1904) は、インドネシアの民族運動と女性解放運動の先駆者として「国家独立英雄」に列せられ、生誕日には祝賀行事が催される。
偶然に手にした本のなかで清純そうな女性の写真が目にとまった。それがカルティニとの出会いであった。彼女が女性解放を唱えた「良妻賢母」であること、ブパティ(県長)令夫人で出産後に早逝したと記されているにもかかわらず、「ラデン・アジュン・カルティニ」という娘時代の名称で国家独立英雄に認定されていること等を読み進めるうちに、カルティニに「胡散臭い」印象とわだかまりを覚えた。が、彼女の純粋な真性をその写真は映し出していた――彼女は何者なのか。
カルティニはオランダの間接統治体制下、ブパティの令嬢としてジャワに育ち、インドネシアで最も早く洋式教育を受けた世代の女性である。従来の研究では、伝統から近代への移行を経験し「近代精神」を体現する「原住民」の象徴として描かれ、インドネシア・ナショナリズム運動史の中で顕彰されてきた。そして、その主要史料として用いられているのがDoor Duisternis tot Licht(以下1911年版)であり、本書が問題とする作品である。
本書ではBrieven: aan mevrouw R. M. Abendanon- Mandri en haar echtgenoot(以下1987年版)を主要史料とし、1911年版と比較した。結果、1911年版に収録されたアベンダノン夫人宛書簡・夫妻宛書簡・アベンダノン氏宛書簡は、それらの原書簡の3割程度だった事実が判明した。さらに、1911年版のインドネシア語抄訳版Habis Gelap Terbitlah Terangを1987年版と比較すると、原書簡の1割程度であった。編者アベンダノン(東インド政庁教育・宗教・産業局長官、カルティニの文通相手)が削除した書簡の中で、カルティニは何を語り発信し続けたのか。
カルティニは言う。「愛は与える時に最も豊かになります。私は皆様が私に与えてくださった愛を、その愛に利子を付けて人々へ返報します」[Kartini 1987:340]。その一例が工芸振興活動であった。しかし、1911年版では彼女の工芸振興活動が最も無視された。しかし、生前のカルティニは女子教育よりも木彫工芸振興活動の方が広く知られ、「『忘れられた辺境』といわれたジュパラの知名度を高めたことはカルティニの業績、それはジュパラ住民が皆知るところである」と、当時のジャワの有力紙の第一面に掲載された「追悼記事」に記されている[De Locomotief 1904 年10月 10日号]。
また、カルティニは文通によって構築したネットワークとオランダ語メディアによる読書を通じて、女性解放思想に共鳴し、西洋の「新しい女性」が19世紀末に萌芽した平和運動や社会福祉活動に専心する姿勢に共感し、自らをその系譜に位置付けた。が、彼女がジャワを、そして、東インドを超えて解放された「個人」を求めた声は採録されなかった。さらに、「カルティニとだけ呼んでください」[Kartini 1911:13, 1987:135, 265]という彼女の希望は無視され、「ラデン・アジュンRaden Adjeng」、すなわち、ジャワ貴族の未婚女性の称号を付けた名称が定着していった。なぜ、カルティニの声は否定されなければならなかったのか。本書は1911年版を体系的に批判し、倫理政策の文脈によるカルティニ表象の修正を図り、また、民族主義的な「インドネシア」という枠組にはめ込んできた従来の研究と一線を画す。
2019年4月21日に、カルティニ生誕140年をむかえた。書簡が一世紀にわたり読み継がれてきたことは、彼女が提起した課題の中で百余年、遅々として進まない難問について、カルティニと私達がその問題を共有し一人一人が考え取り組むことを誘うからであろう。書簡中にカルティニが言葉で包み込んでいる真理を追究する学術的価値は、ここにある。
カルティニは言う。「人は事実を隠して中途半端な情報を提供し、世間の好奇心を煽り、好き勝手に詮索し誤った事を言います」[Kartini 1987: 187]。カルティニの声に耳を澄ませ、彼女に更なる誤解と苦悩を負わせないよう、真摯に向き合う姿勢が求められている。その上で、従来の文脈から離れ、カルティニを理解する道筋そのものを変えて真価を追求する。その意味で、カルティニは決して過去の人ではなく、「これから」の人である。
この記念すべき年に、カルティニとお出会いになったみなさまとともに、カルティニの言葉を共有しカルティニの記憶を新たにする機会が与えられたことに感謝を捧げたい。