自著を語る:『病縁の映像地域研究――タイ北部のHIV陽性者をめぐる共振のドキュメンタリー』

地域研究叢書38
直井 里予(著)『病縁の映像地域研究――タイ北部のHIV陽性者をめぐる共振のドキュメンタリー』
京都大学学術出版会、2019年
https://edit.cseas.kyoto-u.ac.jp/ja/chiikikenkyusosho/38_naoi/

 

「もうしばらく撮影を続けてみてください。きっと何か変化がおきるはずですよ。ドキュメンタリーとはね、その変化を捉えるために、待ち続ける行為そのものですよ。村での撮影を続けて、直井村をつくってみてください。」

2000年にタイで撮影を開始し、5年をかけて制作した『昨日 今日 そして明日へ・・・』は、2006年の韓国ソウルで開催された国際映画祭で上映された。上は、上映後、審査員だったドキュメンタリー映画監督の佐藤真さんから頂いた最後のコメントである。

変化を撮る? 私の村をつくる? 当時の私は、その意味がよく理解できずにいた。とにかく、映画を撮り続ければ何か掴めるかもしれない。私は、タイへ戻り撮影を再開した。そうして完成したのが、本書の第3章で取り上げた『アンナの道――私からあなたへ・・・』である。作品完成直前に、佐藤監督が突然亡くなり、作品を観ていただくことは叶わなかった(「最後のコメント」と書いたのは、そうした意味もある)。待ち続ける行為そのものとは一体何なのか。カメラは「変化」を捉えているだろうか。無論、人の風貌も村の風景も、時代とともに変化する。長期間にわたってカメラを回し続ければ、映像はそうした変化をたしかに映し出す。しかし、監督の言葉は、そうした単純な変化を指すのではないだろう。私は、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科に編入学し、地域研究における参与観察型フィールドワークの手法を学びながら、監督の発した言葉の意味を探りはじめた。

本書のテーマは、「関係性」と「視点関与」である。HIV陽性者のドキュメンタリー映画の制作を通して、私は、人間社会の関係性とは何かを考えつづけた。また、完成した作品や制作過程を顧みながら、制作者そして観る者は、対象に対峙する視点を、どのように変化させるのかを考えつづけた。

ドキュメンタリー映画とは、撮影者と撮影対象者、そして、上映における観る者との‘共振’によってつくられる。本書においても、私がアンナと北タイで出会い、アンナをめぐる人間関係の輪の一員となり、それまでの価値観を崩されながら、新たな関係性をみつけた経験を、読者諸氏にも映像と文章の往還を通して追体験(共振)して頂ける工夫として、作品の映像(一部ではあるが)にリンクするQRコードを挿入してある。

私の研究は、「撮影者の視点の関与がどのように映像作品に反映され、カメラは‘関係性’をどれくらい‘リアリティ’を持って捉えることができるのか」という問いの上にある。その意味で本書は、地域研究における映像表現の課題を見極めつつ、その可能性の地平を拓く試みでもある。

本書が、佐藤監督のいう「変化」を捉えることに成功しているかどうかは、わからない。本書が新たな共振を生み、新たな関係性の形成へとつながり、HIVをめぐる関係性と映像制作における視点関与に関する考察がさらに深まることを願っている(それは、佐藤監督のもう一つの言葉「私の村」につながっているのかもしれない)。

思いやりの家のエイズ孤児とアンナ


☆こちらで著者へのインタビューをご覧になれます» 「自著を語る 直井里予」 https://www.youtube.com/watch?v=tGr8cjZPYNM